清水寺三重塔アイキャッチ

清水寺の随求堂の近くにある丹塗りが鮮やかな三重塔は、どのくらいの高さがあるのでしょうか?

 

三重塔の内部や創建の歴史のほか、清水寺の七不思議にまつわる話を紹介します。

清水寺の三重塔は日本最大級!高さは何メートル?

清水寺三重塔
清水寺三重塔

清水寺の三重塔の高さは30.1m。

 

基壇を含めると31mあります。

 

三重塔としては日本最大級です。

 

 

 

近世以前の現存する三重塔で日本最大の高さを誇るのは、奈良・薬師寺の三重塔です。

 

薬師寺東塔(三重塔)
薬師寺東塔(三重塔)

 

その高さは34mで、清水寺のものより3mほど高いです。

 

 

 

清水寺には子安の塔と呼ばれる、もう一つ三重塔がありますが、子安の塔の高さは15mです。

子安の塔
子安の塔

 

随求堂の側にあるこの三重塔は、その2倍ほどの高さがあり、それぞれの側に立ってみると大きさの違いがよくわかります。

 

 

 

三重塔の幅は三間で約5.5m。

 

奥行は三間で約5.5m。

 

屋根は本瓦葺。

 

1966年(昭和41年)6月11日に重要文化財に指定されています。

 

 

清水寺三重塔はいつ建てられた?歴史を紹介

現存する三重塔は江戸時代の1632年(寛永9年)に徳川家光によって再建されたものなので、清水寺創建期のものではありません。

 

清水寺に三重塔がはじめて建てられたのは奈良時代末期の創建より少し年数が経った847年(承和14年)です。

 

 

平安遷都を行った桓武天皇の息子にあたる葛井親王によって創建されました。

 

 

葛井親王は、坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の女御だった春子を母とするので、清水寺の創建に関わった坂上田村麻呂の孫です。

 

 

 

桓武天皇の息子の嵯峨天皇が皇子の誕生を清水寺の観音に祈願して安産となったため、葛井親王が嵯峨天皇の勅命を受けて三重塔を創建しました。

 

そうした創建の経緯から、この三重塔は子安の塔とも称されます。

 

 

 

子安の塔というと、清水寺の境内にあるもうひとつの三重塔(泰産寺の三重塔)が著名ですが、随求堂のそばにある三重塔も泰産寺三重塔とともに、清水寺の安産の信仰のもとになりました。

 

 

三重塔は朱色を基調にした極彩色の外観が印象的ですが、これほど色が鮮やかなのは1987年(昭和62年)に完了した解体修理の時に色も復元されたためです。

 

三重塔の内側はどうなっている?内部の拝観は可能?

三重塔の開かれた初層の扉
三重塔の開かれた初層の扉

三重塔は外観を見たことはあっても、内部を見たことがなくて、どうなっているか気になる方もいるでしょう。

 

 

三重塔の内部には曼荼羅の密教世界が表現されていて、その中央には大日如来が安置されています。

 

三重塔内側の壁の四方四面には真言八祖像が描かれています。

 

 

 

真言八祖はインド発祥の密教が、中国に渡り、弘法大師・空海に伝えられ、日本で独立した真言宗として開かれるまでに八祖を経て伝えられたという伝承から、大日如来から弘法大師の八祖を総称したものです。

 

 

塔の内部に真言八祖が描かれている例として著名なのは、東寺の五重塔ですが、清水寺の三重塔の内部にも下記の真言八祖が描かれています。

 

  1. 大日如来(だいにちにょらい)
  2. 金剛薩埵(こんごうさった)
  3. 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
  4. 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
  5. 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
  6. 不空三蔵(ふくうさんぞう)
  7. 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
  8. 弘法大師(こうぼうだいし)

 

天井や柱には密教仏画や飛天、龍などが極彩色で描かれています。

 

 

 

現在、北法相宗大本山である清水寺に「なぜ密教の大日如来が祀られていたり、真言八祖が描かれている?」

 

と思う方もいるかもしれませんが、これは清水寺が長きにわたって法相宗と真言宗の二宗を兼学していたからです。

 

 

 

ただ、清水寺が二宗を兼学するようになったのは10世紀以降であるため、創建期の三重塔の内部は、現在のように密教化しておらず、四方四仏を祀っていたようです。

 

当初の三重塔の内部は、現在の興福寺五重塔のような塔の東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来のように四方四仏を祀っていたということです。

 

 

 

清水寺では三重塔の側に立ち寄ることはできますが、内部は通常非公開のため拝観することはできません。

 

 

ですが、過去に期間限定で三重塔の初層が開扉されたことがあります。

 

期間は2016年(平成28年)11月1日~11月5日でしたが、西国三十三所草創1300年記念の特別公開でした。

 

(2017年8月現在も公開されていました。)

 

 

西国三十三所草創1300年記念の時に開かれたのは、三重塔の初層にある4つの扉のうち1つのみでした。

 

しかし、扉が地面からけっこう高い位置になるため見づらく、また内部も暗くて見づらいという状態でした。

 

 

薄暗いながらも大日如来像の姿は拝観できました。

 

柱に描かれた極彩色の仏画も少し見えました。

 

 

 

とはいえ、基本的には塔の外観をみることしかできません。

 

ですが、この三重塔の外観には清水寺の七不思議のひとつに数えられるものがあり、それが三重塔の見どころのひとつとなっています。

 

 

三重塔の鬼瓦が清水寺の七不思議

三重塔の鬼瓦
三重塔と鬼瓦

七不思議だけど8つ以上ある清水寺の七不思議のひとつが三重塔にもあります。

 

三重塔の初層から三層目までの各層の四隅には鬼瓦がありますが、東南の鬼瓦だけすべて龍となっているのです。

 

 

これが清水寺の七不思議の一つとして数えられています。

 

東南以外の鬼瓦は一般的な鬼の顔です。

三重塔の鬼瓦(拡大)
三重塔の鬼瓦

北東、北西、南西の鬼瓦はこの鬼瓦です。

 

東南の龍の瓦
東南の龍の瓦

東南だけが龍の瓦になっています。

 

 

 

龍は火除けの神とされています。

 

 

清水寺から近い建仁寺のような京都の禅宗寺院で、仏殿の天井に龍が描かれているのをご覧になった方もいると思いますが、この三重塔の龍も防火の意味があるようです。

 

 

 

東南の鬼瓦だけが龍なのは、龍は四神のうち東に位置する守り神で、京都の東側にある清水寺境内の音羽の滝には青龍が住まう場所とされていることが理由です。

 

 

また、京都の西北の愛宕山の山頂にある愛宕神社では火伏の神が祀られていますが、西北の対角線上となる方角の東南は火に弱いとされるからとも言われています。

 

 

清水寺参拝時に、ちらっと見て素通りされがちな三重塔ですが、東南の鬼瓦に注目してみてください!