桶狭間の戦いで織田信長が潜んでいた釜ヶ谷の場所は?地図と画像で説明

桶狭間・釜ヶ谷の看板

釜ヶ谷は桶狭間の戦いで織田信長が勝利をおさめることに大きく結びついた場所です。

現在は、宅地開発が進んだことで往事の様子をイメージすることは容易ではありませんが、

坂があったり、林が少し残っていたり少なからず面影は感じられます。

この記事では釜ヶ谷について紹介します。

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桶狭間の釜ヶ谷とは?

桶狭間・釜ヶ谷の看板

桶狭間・釜ヶ谷の看板

桶狭間の釜ヶ谷(かまがたに)は桶狭間の戦いで織田信長が、今川義元の本陣に突撃する前に潜んでいた場所です。

また、今川義元をうち取ったあとに信長が兵を集めて勝どきを上げた場所でもあります。

 

織田信長は桶狭間の戦いの時に、釜ヶ谷より北にある善照寺砦に旗を多く立てて、そこを織田軍の本陣と見せかけました。

 

織田信長自身は兵の一部を率いて、釜ヶ谷まで行って待機し、おけはざま山の今川義元の本陣への突撃のタイミングをうかがいました。

おけはざま山の場所を地図と画像で紹介!桶狭間の戦いの今川義元本陣跡

 

桶狭間の戦い当日は、雷を伴う大雨で天候は大荒れでした。

信長は雨が止むのを待ち、晴れるとすかさず今川義元が本陣を敷くおけはざま山まで

ここから攻め込み、今川義元をうち取ることに成功します。

 

勝利をおさめた信長は、兵を釜ヶ谷に集結させ勝どきをあげます。

今川軍の武将の首実検を終えた信長は、村人に戦いの戦死者たちを葬るように伝えて立ち去りました。

 

桶狭間の村人たちが戦死者を葬った場所は、七ツ塚と呼ばれていますが、

この釜ヶ谷から近い場所にあります。

桶狭間の七ツ塚の場所や行き方を説明!古戦場公園に近い所に目印あり

 

現在の釜ヶ谷は、住宅街になっています。

上に掲載した写真が釜ヶ谷の目印です。

 

釜ヶ谷は名古屋短期大学の敷地になっているようです。

名古屋短期大学の建物

名古屋短期大学の建物

 

柵の向こう側は駐車場があります。

釜ヶ谷

釜ヶ谷の駐車場

少し前までは、この駐車場がある場所には池があったそうです。

 

上の駐車場の写真の向こう側には坂があり小高い丘のようになっています。

この坂は信長坂と呼ばれていて、この坂を駆け上がり、今川義元本陣へ突撃をしかけたとされています。

 

信長坂の写真を撮り忘れたので、画像のリンクを下に貼ります。

信長坂の画像

 

ちなみに、今川義元本陣とされているのは、おけはざま山だけではなく、高徳院も候補地のひとつとなっています。

高徳院に義元本陣があった場合は、織田軍は釜ヶ谷から高徳院へ突撃をしかけたことになります。

桶狭間古戦場の高徳院とは?戦いの時に今川義元本陣が置かれた場所?

釜ヶ谷の場所はどこ?

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釜ヶ谷の所在地(住所):〒458-0917 愛知県名古屋緑区武路町2808

 

上に掲載した地図は釜ヶ谷の場所を示しています。

既に紹介したとおり、名古屋短期大学の敷地の西側にあることがわかりますね。

 

釜ヶ谷への行き方は?

釜ヶ谷の目の前には名古屋短期大学があるので、大学の西側に向かえば着きます。

 

名鉄の路線がある北側から行くなら名古屋短期大学を目指せばいいのですが、

桶狭間の戦いの他の史跡を巡ってから釜ヶ谷に行く場合もあるでしょう。

 

釜ヶ谷の南側から釜ヶ谷を目指す場合は、武路公園がひとつの目印のような地点になります。

上の地図は武路公園から釜ヶ谷までのルートです。

距離は300メートルくらい、徒歩での所要時間は約4分です。

 

武路公園のすぐ近くには、桶狭間の戦いでなくなった人たちを供養する七ツ塚があるのであわせて尋ねるといいですね。

 

桶狭間の戦い関連の歴史スポットのまとめ!織田信長・今川義元ゆかりの古戦場跡

桶狭間の戦いゆかりの地のまとめ記事です↑

 

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