清水寺に到着すると、はじめに参拝者を迎えるのが仁王門です。
丹塗りが鮮やかな仁王門は、現存する清水寺の建造物の中でも最古級の建築で重要文化財に指定されています。
門の両脇には大きな金剛力士像(仁王像)が安置されていて、睨みをきかせています。
この記事では、清水寺仁王門の歴史や建築のほか、金剛力士像の特徴などを紹介します。
清水寺仁王門の場所はどこ?境内地図で紹介
清水寺の仁王門は境内の西端にあります。
上図左下の黄色の四角で囲んだ場所にあります。
清水寺の参拝者が必ず目にするであろう門です。
清水寺仁王門の歴史と建築の概要
仁王門は江戸時代の火災による焼失を免れた建築
清水寺は奈良時代末期の創建から現代に至るまで10回ほど焼失と再建を繰り返しています。
1629年(寛永6年)9月10日(旧暦)の大火災が清水寺伽藍における最後の火災で、清水の舞台を含めた境内の建造物の多くはこの時に焼失し、1630年代に再建されたものです。
つまり清水寺には建立からおよそ400年になる建造物が多いのです。
そんななか、仁王門は1629年の火災で焼失を免れた数少ない建造物です。
いつ建造されたものなのでしょうか?
京都の建造物の大半は1467年から約11年にわたって続いた応仁の乱で焼失しましたが、清水寺も応仁の乱が始まって3年目の1469年に多大な被害を被りました。
仁王門は、この応仁の乱後の建築で、15世紀末に再建されました。
建築構造や高さなどの基本情報
落ち着いた色の清水寺本堂や奥の院などとは異なり、仁王門は鮮やかな丹塗りの門で、文字通り「赤門」とも呼ばれます。
2003年(平成15年)の解体修理からまだ10数年ほどしか経過していないので、朱色はまだまだ鮮やかです。
仁王門の棟高は14m、幅は9.9m、奥行は8.4m。
屋根はヒノキの樹皮を用いた檜皮葺(ひわだぶき)で、清水寺本堂と同じです。
屋根の形はお城の天守の屋根と同じ入母屋造(いりもやづくり)と呼ばれる形式です。
門の形式は楼門(ろうもん)。
楼門というのは、二階建で初重(一重目)は縁のみで屋根がなく、二重目にのみ屋根がある門のことです。
一重目にも屋根がある門は二重門と呼ばれ区別されます。
もともとは二重門も楼門と呼ばれたようですが、いつの時代からか呼び分けられるようになりました。
清水寺の仁王門は一重目には屋根がないので、楼門だということがわかります。
清水寺仁王門を柱の数で分類すると八脚門(やつあしもん)という形式に該当します。
八脚門だから柱の数が8本というわけではなく、柱は全部で12本あります。
八脚門は、4本の横並びの柱が3列あり、柱の数が合計12本となります。
真ん中の列の4本の柱は本柱と呼ばれ、本柱の前後の列の計8本の柱は控柱と呼ばれます。
清水寺仁王門も本柱4本の前後に控柱8本を持つ門ということで、八脚門の構造になっています。
間口を見ると、三間一戸(さんげんいっこ)と呼ばれる形です。
一間(いちげん)とは2本の柱に挟まれた間口のことで、三間は横並びになった4本の柱によってできる間口です。
一戸(いっこ)とは、通路となる間口が一間あるという意味です。
清水寺仁王門は前述の通り横並びの4本の柱が3列ある八脚門なので、間口は三間です。
通路となる間口は中央の一間だけなので、一戸となります。
というわけで、清水寺仁王門は三間一戸に分類されます。
清水寺仁王門は、1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されています。
仁王像の大きさは京都で最大級?
清水寺仁王門の一階部分の両端の一間には、それぞれ1体の仏像が安置されています。
これは金剛力士像です。
仁王像とも呼ばれる像で、その名を耳にしたことがある人も少なくないのではないでしょうか。
金剛力士像のうち、向かって右側の口を開けた方が阿形(あぎょう)で那羅延堅固王(ならえんけんごおう)といいます。
左側の口をつぐんだ方は吽形(うんぎょう)で、密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)といいます。
清水寺の正門である仁王門の門番として、清水寺の伽藍や仏様を守護する役割があります。
像高は3m65cmで、現存する京都の金剛力士像としては最大級の大きさです。
大きい方が門番として迫力がありそうですね!
造像技法はヒノキの寄木造(よせぎづくり)。
寄木造というのは、複数の材木を組み合わせて作られた仏像のことです。
寄木造の対になる言葉は、一木造(いちぼく)です。
一木造とは、文字通り一本の木から造られた仏像のことを指しますが、
全身が一本の材木だけで造られた仏像は少なく、一般的には頭部と体幹部を合わせた部分が一材で造られている仏像を一木造と呼びます。
一本の材木で仏像の体幹部分を造る一木造の技法では、物理的に材木以上の大きさの像を造ることはできません。
そのため一木造の仏像で、人よりも遥かに大きな仏像は少ないですが、
複数の材木を組み合わせる寄木造なら清水寺仁王門の仁王像のような大きな仏像を造ることも可能です。
寄木造は一木造より新しい技法で、平安時代中期頃から使用された技法です。
(それ以前の時代に寄木の仏像が全く存在しないわけではありませんが。)
清水寺仁王門の金剛力士像も当然ながら平安時代中期より後に造られた像で、
様式から鎌倉時代末期から南北朝時代初期(14世紀初期から中頃)に造像されたとみられています。
仁王門より金剛力士像の方が古いんですね!
達筆すぎて読めない扁額
画像引用元:http://tencoo.fc2web.com/jinja/ky-kiyomizu07.jpg
仁王門の2階部分の軒下には扁額(へんがく)が掛けられています。
達筆すぎて私には読めませんが(汗)、扁額には「清水寺」と書かれています。
言われてみれば「清水寺」と書かれているように見えます!
この字は藤原行成(ふじわらのゆきなり/こうぜい)の書と伝わっています。
藤原行成は、小野道風(おののみちかぜ/とうふう)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)とともに10世紀頃に活躍した優れた能筆家です。
上記の3名を総称して、三蹟(さんせき)とも呼びます。
それほどの能筆家の書なら、そりゃあ達筆すぎて読めないわ~と開き直りたくなります(笑)
清水寺の仁王門を通る時は、扁額にも注目してみてください!
梅の花も仁王門の見どころ
画像引用元:http://otakaramap.up.n.seesaa.net/otakaramap/image/DSC03162.jpg?d=a1
仁王門の石段の脇には梅の木があります。
梅の花の見頃は例年3月中旬から3月下旬頃までです。
仁王門は清水寺の中で、おすすめの撮影スポットの一つですが、梅の花が咲く3月は、より一層おすすめの撮影スポットとなります。
清水寺仁王門のまとめ
- 仁王門は現存する清水寺の中でも古い建造物で、応仁の乱の後の建立
- 金剛力士像は京都のなかで最大級の大きさ
- 「清水寺」の扁額にも注目
- 3月は梅の花がきれい