有名なことわざに「清水の舞台から飛び降りる」ということばがあります。
その意味は「必死の覚悟をもって物事を実行する」ということなのですが、本当に清水寺の本堂にある舞台から飛び降りる人はいるのでしょうか?
またビルの4階に相当する高さの清水寺本堂の舞台から飛び降りで生きていられるのでしょうか。
古くは江戸時代より実際に飛び降りた人はいるそうですが、一体何を目的に飛び降りたのでしょうか?
ことわざの通り「何かの祈願なのか?」「それとも興味本位なのか?」「ひょっとして自殺なのか?」いろいろと思いを巡らせてしまいます。
この記事では、清水寺の歴史をひもときながら「清水の舞台から飛び降りる」ことの目的や飛び降りた場合の生存率などについて説明します。
清水寺を訪れた際、ふとこういうことを考えながら見学するのも旅の面白さかもしれません。
現存する清水寺の舞台ができたのは江戸時代
清水寺の創建は778年の奈良時代までさかのぼります。
ですが、現在の本堂は創建当初のものではなく、1629年の清水寺全焼ののち、江戸幕府第三代将軍徳川家光が巨額の寄進(寄付)により約4年という短期間で再建されたものです。
これ以降は、大きな災害に見舞われていないので、今の本堂は400年近く変わらぬ姿で参拝者を迎え続けていることになるのです。
清水寺は今日までに9回以上の焼失を経験しています。
さまざまな困難に対して、色々な人がまさに「清水の舞台から飛び降りて」思い切ったことを行った結果、その都度復興を遂げたこともこのことわざに込められた意味とも言えるでしょう。
清水寺の改修工事の期間はいつまで?清水の舞台には立ち入れる?
清水の舞台から飛び降りた人の数とその理由は?
江戸時代初期に建立された清水寺本堂。
しかしながら「清水の舞台から飛び降りる」という表現は一体いつぐらいから使われているのでしょうか。
江戸の作家、式亭三馬が書いた『浮世風呂』の一場面に「ええ、何のコレ、清水の舞台から飛んだと思うて十二文!」とカボチャを値切るさまを表す表現があります。
つまり「清水の舞台から飛び降りる」のことわざは江戸時代後期には全国に通用していたようだといえるでしょう。
古文によると初めて清水の舞台から飛び降りたのは忠明という検非違使(今でいうと、警察官&裁判官)とされていますが、実際に「清水の舞台から飛び降りた」人はいるのでしょうか?
清水寺本堂の舞台の高さは約12m、ビル4階分の高さに相当します。
さらに、地上から見上げると、整然と組まれた木の柱の迫力もあり、目もくらむような高さに感じます。
この高さから飛び降りると普通は死んでしまうか、運が良くても重症を追うことになるでしょう。
つまり決してオススメできない危険な行為に他なりません。
しかし、1990年代に発見された清水寺の記録(清水寺成就院日記)によれば、江戸時代中期の元禄7年(1694年)から、
江戸時代末期の元治元年(1864年)までに実際に清水の舞台から飛び降りた人の数は、未然に引き留められたものを含めて234件とされています。
これは年間平均で1.6件にのぼるのです。
しかしながらこの中で死亡者は34人であり、生存率はなんと約85%になります。
不謹慎な話かもしれないが清水の舞台から飛び降りた時の致死率は、それほど高くないように思えます。
しかし江戸時代の当時は、舞台の下に木々が多く茂っており、地面も軟らかな土であったことからこれらがクッションになって死亡に至らなかったと考えられます。
現在は当時と状況が代わり、舞台の下の木々も少なく、舞台の下が固い土やコンクリートなので確実に死に至ります。
では江戸時代当時は一体どんな人がどのような目的で清水の舞台から飛び降りたのでしょうか?
当時の資料によると、男女比は7:3、最年少12歳で最高齢80歳代まで。
そのうち10〜20歳代が全体の73%とされています。
さらにその73%をしめる10〜20歳代の生存率が90%となっていて、60歳以上の飛び降りは全員が死亡しています。
それらの人が舞台から飛び降りた理由は、大半の動機が願掛けで自殺志願者の割合は少ないとされています。
「成就院日記」の中にも飛び降りる理由として「自分の病気の治癒」や「母の眼病」などと記されています。
医療技術が進歩していなかった当時、御本尊の観音様にすがる思いで「清水の舞台から飛び降りた」ものとも考えられます。
さらに、江戸時代の浮世絵には清水の舞台から傘をさして飛び降りている絵も見受けられます。
江戸中期の浮世絵師・鈴木春信の画です。
これは江戸時代の「傘を差して清水の舞台から飛び降りると恋が成就する」などという俗信によるもので、
恋を成就させたい若い女性が傘をさして清水の舞台から飛び降りたエピソードを示しています。
当然現代はやってはいけないことなので、恋を成就させたいなら清水寺境内の隣にある地主神社にお参りしたり、音羽の滝の清水を頂くだけにしたいものです。
このような願掛けを込めて行われていた風習も、1872年(明治5年)に京都府が禁止令を出し、次第に沈静化し、舞台の周りには防止用の竹矢来が組むなど安全対策が実施されるようになったのです。
しかし今でも、全く飛び降りる人がいなくなったわけではありません。
1995年2月に阪神・淡路大震災で被災した80歳代の男性が、そして2006年5月15日には30~40歳代と見られる男性がそれぞれ清水の舞台から飛び降り、いずれも死亡しています。
また2009年9月30日、18歳の男子大学生が自殺を図って飛び降りたものの、一命を取り止めています。
前述しましたが江戸時代と比べて、舞台の下の土も硬く、コンクリートで舗装された部分もあり木々も少ないので、江戸時代と比べて死に至る確率は非常に高く、決してやってはいけないことなのです。
こういうことをやっても、本尊の千手観音様がちゃんと願いをかなえてくれるとは思いませんし、自殺目的ならまさに論外です。
「清水の舞台から飛び降りる」以外にもう1つ清水寺本堂にまつわる有名な言葉があります。
それは歌舞伎などで使われる「檜舞台」という言葉です。
これは、清水寺の舞台の本来の役目が、御本尊の観音様に御利益をいただいたお礼に能や舞楽などを奉納するための舞台というところからきています。
そしてこの舞台に立って、演じることは名誉なこととして、一世一代の晴れ舞台の意味として「檜舞台」と呼ばれるようになったといわれているのです。
実際に舞台から飛び降りることはいけませんが、自分の願いを込めて「清水の舞台から飛び降りた」気持ちで清水寺にお参りすることはオススメできることです。
また「平成の大修理」の間は足場が組まれて舞台から下を眺めることも難しい状況です。
やり遂げたいことがあるならそういうしっかりした気持ちを持ってお参りすることが大切なのではないでしょうか。
清水寺本堂の舞台の高さや建築構造は?柱の数が多くて釘がない造り?
実際に飛び降りなくても、観音様はしっかりと受け止めてくれると思います。