浜松城は徳川家康が遠江を治める拠点として築城された城で、江戸時代の歴代城主の中に、幕府の要職についた者が多いため出世城とも呼ばれています。

浜松城周辺には徳川家康ゆかりの地が徒歩で行ける距離に点在しています。

それらの家康ゆかりの地の概要を紹介します。

浜松城周辺の徳川家康ゆかりの地の所要時間の目安

 

浜松八幡宮 →徒歩15分→ 東照宮(引間城跡) →徒歩8分→ 浜松城 →徒歩10分→ 五社神社・諏訪神社 →徒歩20分→ 西来院 →徒歩15分→ 犀ヶ崖資料館 →徒歩1分→ 犀ヶ崖古戦場跡 →徒歩20分→ 太刀洗の池 →徒歩10分→ 浜松市博物館

 

 

浜松城周辺の徳川家康ゆかりの地

浜松八幡宮

浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)は、浜松城の鬼門を守る位置にあります。

徳川家康が戦の際に武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈ったそうです。

 

境内には「雲立(くもたち)の楠」と呼ばれる、大きな楠のご神木があります。

 

 

東照宮(引間城跡)

東照宮(とうしょうぐう)は徳川家康を祀る神社です。

元々はこの場所には飯尾家の居城・引間城(ひくまじょう)がありました。

 

引馬城を守ったのは飯尾家の田鶴(たづ)姫で、おんな城主です。

徳川家康の軍勢と戦いました。

 

境内には徳川家康と豊臣秀吉(少年の頃の姿)の像が立っています。

徳川家康は浜松城の建造期間中に引間城があったこの場所に住み、豊臣秀吉は主君を探す旅の途中にこの地を訪れたとされています。

 

 

浜松城

浜松城は徳川家康が天下統一の礎を築いた城です。

一帯は公園として整備されています。

 

 

五社神社・諏訪神社

五社神社(ごしゃじんじゃ)は徳川家康の三男・徳川秀忠の守り神とされました。

徳川家に崇敬された神社で、かつては「五社神社と諏訪神社(すわじんじゃ)の両社に参詣すれば江戸見物の必要はない」

と言われたほど社殿が立派でしたが、戦災で焼失しました。

 

安産・子育ての神様として信仰されています。

 

西来院

西来院(せいらいいん)は徳川家康の正室・築山殿(つきやまどの:瀬名 せな)の墓所がある禅宗の寺院です。

戦災で寺が焼失したので、築山殿の400回忌にあたる1978年に築山殿の墓所「月窟廟(がっくつびょう)」が復元されました。

 

およそ350年前に造立された六地蔵像もあります。

 

犀ヶ崖資料館

犀ヶ崖資料館(さいががけしりょうかん)は、後で紹介する。

犀ヶ崖古戦場跡のそばにある資料館です。

三方ヶ原の戦いのジオラマが展示されています。

 

犀ヶ崖古戦場跡

犀ヶ崖古戦場跡(さいががけこせんじょうあと)は三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康が、

信玄軍に夜襲をしかけて反撃に成功したと伝わる場所です。

 

戦があった当時は幅30メートルの谷が東西2000メートルにも及んで広がっていたようです。

 

 

太刀洗の池

徳川家康の正妻・築山殿(瀬名)は、武田家との内通などを疑われ家康の命によってさつがいされました。

太刀洗の池(たちあらいのいけ)は、その時、刀についた血を洗ったとされる池の跡地です。

 

 

浜松市博物館

浜松市博物館(はままつしはくぶつかん)は原始時代から近代にわたる浜松の歴史を紹介する博物館です。

徳川家康や井伊直虎にまつわる展示あります。

 

三方ヶ原の戦いで武田信玄軍に敗れた徳川家康は、自戒のためにその時の自分の姿「しかみ像」を描かせたといいます。

博物館にはその「しかみ像」の等身大の立体模型が展示されています。