井殿の塚は井伊直満と井伊直義を供養するために井伊氏居館の隅に築かれた塚です。
井伊直満は、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも登場し、血筋としても次郎法師(井伊直虎)に近い存在なので、
井殿の塚はおんな城主・井伊直虎ゆかりの地と言えます。
この記事では、井殿塚の概要やアクセス方法などを紹介します。
井殿の塚とは?
井殿の塚は1544年に井伊家の家老・小野道高の讒言によって、
今川氏に自害を命じられてなくなった井伊直満と井伊直義の兄弟の供養のために、井伊谷の人々によって作られたと伝わっています。
当時、井伊氏は今川氏の臣家でした。
井伊氏が拠点とする遠江の地域は戦国時代、斯波氏と今川氏が争いをしていました。
井伊氏は元々、斯波氏の側についていましたが、1513年に今川軍の総攻撃を受けて降参し、今川氏の臣下になることになりました。
その時の井伊家当主は第20代・井伊直平です。
井伊直平は、次郎法師(井伊直虎)の曽祖父にあたります。
井伊直平には、5人の息子と1人の娘がいました。
井殿の塚で供養されている井伊直満と井伊直義の兄弟は、この井伊直平の息子にあたります。
井伊直満の長兄が第21代当主になった井伊直宗(次郎法師の祖父)でしたが、1542年の戦でなくなったので、
井伊直宗の息子の井伊直盛(次郎法師の父)が第22代当主となりました。
井伊直盛の子どもは、娘の次郎法師(井伊直虎)ひとりだったため、後継ぎとなる男子がいませんでした。
井伊直満はゆくゆくは自分の息子・亀之丞(井伊直親)を第22代当主・井伊直盛の養子にして、
その娘・次郎法師(井伊直虎)と結婚させて家督を継がせようとしていました。
しかし、第20代当主・井伊直平の代から井伊家の筆頭家老を務めていた小野道高はそれを良く思わず、反感をかったとされています。
小野道高は井伊直満の息子・亀之丞(井伊直親)が家督を継ぐことを阻止しようと、
当時、井伊氏を支配していた今川義元に「井伊直満、直義の兄弟に謀叛の企みがある」ということを伝えました。
今川義元は、井伊直満と井伊直義の2人を自害させました。
井殿の塚は、この井伊直満、直義の兄弟を供養するために、井伊谷の里の人々によって築かれたとされています。
宝塔がふたつあるのは、2人を供養するからです。
ちなみに井伊直満、直義の兄弟にあたる井伊直平の娘は、のちに今川家に嫁ぎ、徳川家康の正妻となる築山御前(瀬名姫)を生みました。
また、龍潭寺の南渓和尚は第21代当主・井伊直宗と井伊直満の間の兄弟(次男)とも言われています。
江戸時代には、井伊氏の子孫にあたる江戸幕府の大老・井伊直弼が、井殿の塚を来訪し、
祖先の墓所を礼拝して石垣などを寄進したと伝えられています。
井殿の塚がある場所は、井伊氏居館があった井伊城本丸の北端に位置するとみられています。
現在は居館跡は残っていないので、遺構から往事をしのぶことはできません。
井伊氏居館跡の看板があるのは、井殿の塚から少し離れた場所の井伊城二の丸があったとされる場所です。
井殿の塚の拝観時間と見学所要時間
井殿の塚の拝観料は無料です。
拝観時間も設定されておらず、24時間いつでも参ることができます。
見学所要時間は3分ぐらいでしょうか。
井殿の塚の場所とアクセス方法
井殿の塚の所在地の地図です。
井殿の塚の最寄りのバス停は遠鉄バスの井伊谷バス停です。
バス停は次の地図の交差点の近くにあります。
井伊谷バス停までは、JR浜松駅からバスが出ています。
井伊谷バス停がある方面ではなく、浜松市地域遺産センター側から井殿の塚に向かう場合の行き方を画像を交えて紹介します。
浜松市地域遺産センターの方から引佐多目的センターの前に行くと、井伊谷城跡の登り口と井殿の塚がある方面に分岐する道があります。
井殿の塚へ向かう方に進むと、ゆるやかなくだり坂があり、次の写真のタブノキが見えるはずです。
進行方向の右側に写真の赤丸で囲んだタブノキがあります。
井殿の塚は、このタブノキの木の下にあります。
タブノキに近づくとガードレール沿いに「おんな城主 直虎」ののぼりが見えます。
写真ではわかりづらいですが、タブノキの左に赤いのぼりが見えます。
のぼりの傍にはタブノキの木の下に降りる階段がありますので、そこから井殿の塚に向かいましょう。
タブノキの根元です。
この木の向かって右側に、はじめに掲載した次の写真の宝塔があります。
井殿の塚に駐車場はある?
井殿の塚には駐車場はありません。
近くにある浜松市地域遺産センターの無料駐車場を利用しましょう。
井殿の塚浜松市地域遺産センターから井殿の塚までは徒歩5分程度です。