桶狭間の戦いゆかりの歴史スポットとして、戦評の松と呼ばれる松があります。
その名の通り、戦いの講義が行われたことからその名がついたそうです。
この記事では、有松の戦評の松の場所や行き方についてご紹介します。
桶狭間の戦いの戦評の松とは?
桶狭間の戦いの2日前に、今川軍の瀬名氏俊(せなうじとし)は、桶狭間の地に来て
今川義元の本陣の設営を行い、大きな松の木の下に武将を集めて軍議を開いたとされてます。
そのため軍議が開かれた場所にあった松の木が戦評の松と呼ばれています。
現在も戦評の松は存在しますが、それは桶狭間の戦い当時からあるものではなく、3代目の松の木です。
初代の松の木は、その幹が直径1メートルを超える大きな松でしたが、1959年9月の伊勢湾台風で枯れてしまいました。
村人たちからは「一本松」「大松」と呼ばれ、大切にされていたようです。
樹齢は400年を超えていたようですが、桶狭間の戦いあったのが1560年であることから、
合戦当時はそれほど大朴ではなかったのかもしれませんね。
2代目の戦評の松は、1962年5月に植えられましたが、2007年に松喰い虫の害によって枯れてしまいました。
現在の松は、その後に植えられたものですから3代目なのです。
戦評の松には、今川義元の命日である旧暦の5月19日に、白装束で白馬に乗った義元の亡霊が現れるという伝説もあるようです。
現在の3代目の松の周囲には、暗そうな雰囲気はないですが、初代の大木には出そうな雰囲気があったのでしょうか。
話がそれましたね。
この戦評の松がある場所は、今川軍の武将として出陣した井伊直盛(いいなおもり)が陣を敷いた巻山からかなり近いです。
井伊直盛はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・次郎法師(井伊直虎)の父で井伊家第22代当主に当たる人物です。
現在の巻山には往事をしのばせるものがないようですが、陣を敷いた場所というだけあって、
周囲より小高くなっている場所でした。
2017年の大河ドラマの一視聴者としては、巻山がすごく気になりました。
戦評の松を訪れた際は、巻山の地形もちょこっと見てみてください!
戦評の松の場所を地図で紹介
戦評の松は池の近くにあるので、住宅街に埋もれて気づきにくい七ツ塚やおけはざま山と比べると、
比較的わかりやすい場所にあります。
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おけはざま山の場所を地図と画像で紹介!桶狭間の戦いの今川義元本陣跡
戦評の松までの行き方は?
桶狭間の戦いの史跡を訪れるなら、大抵の方は桶狭間古戦場公園へ行くでしょう。
桶狭間古戦場公園のアクセス方法は?最寄駅からの行き方をどこよりも詳しく紹介!
古戦場公園の南側へ向かうと池が見えますので、その池に沿って行けば、戦評の松にたどり着けます。
上に掲載した地図では、桶狭間古戦場公園から池の西側へまわって戦評の松へ向かうルートになっていますが、
池の東側には戦評の松で、軍議を開いた瀬名氏俊の陣地跡があります。
瀬名氏俊陣地跡の場所の地図は?名古屋にある桶狭間の戦いの史跡
瀬名氏俊の陣地跡をあわせてめぐりたい場合は、池の東側をまわって戦評の松へ向かうと良いです。
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