桶狭間の戦いで織田信長に敗れたのが今川義元であることは広く知られていますが、
桶狭間の戦いでは井伊直盛(いいなおもり)も今川軍の武将として出陣し、なくなっています。
井伊直盛は2017年(平成29年)のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎(役:柴咲コウさん)の父親にあたる人物です。(井伊直盛役は杉本 哲太さん)
桶狭間の戦いによって当時、井伊家の当主だった井伊直盛と井伊家に絶大な影響力を持っていた今川義元がいなくなったことにより、井伊家の命運は大きく変わります。
そんな大河ドラマ「おんな城主 直虎」ゆかりの地である桶狭間の戦いのゆかりの地を当記事では紹介します。
桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場公園(おけはざまこせんじょうこうえん)は桶狭間の戦いの中心地に戦いの450年後に整備された公園です。
田楽坪(でんらくつぼ)とも言われ、今川義元最期の地という説がある場所です。
桶狭間古戦場公園には、桶狭間の戦いの地形や武将の配置を摸したジオラマがあります。
ジオラマでは井伊直虎の父・井伊直盛が1000名の兵を率いて控えていた巻山も配置されています。
ジオラマではなくて実際の巻山は後で紹介する「戦評の松」付近にありました。
公園内には他にも今川義元馬つなぎのねずの木、義元の墓、首洗いの泉跡など義元ゆかりのものがあります。
桶狭間古戦場公園の周辺には、桶狭間の戦いのゆかりのスポットがいくつかあるので、時間がゆるす限りめぐってみてください。
桶狭間古戦場公園のアクセス方法は?最寄駅からの行き方をどこよりも詳しく紹介!
七ツ塚
織田信長は今川義元をうちとった後に、村人に戦いでなくなった兵を埋葬するように命じて引きあげました。
七ツ塚がもともとあったのは、現在の武路公園の付近でしたが、平成の区画整理で現在の場所に移されました。
桶狭間の七ツ塚の場所や行き方を説明!古戦場公園に近い所に目印あり
おけはざま山
今川義元の本陣があったという説がある場所です。
おけはざま山の中腹あたりからは、今川軍の先鋒をつとめた松井が兵を率いた高根山から幕山、
同じく今川軍の先鋒をつとめた井伊直盛が兵を率いた巻山が一望できます。
おけはざま山の場所を地図と画像で紹介!桶狭間の戦いの今川義元本陣跡
瀬名氏俊陣地跡
瀬名氏俊(せなうじとし)が今川義元の先発隊として着陣した場所が瀬名氏俊地跡です。
瀬名氏俊は桶狭間の戦いを生き延びて、のちに武田家の家来になったそうです。
瀬名氏俊陣地跡の場所の地図は?名古屋にある桶狭間の戦いの史跡
釜ヶ谷
釜ヶ谷(かまがたに)は織田信長が今川義元本陣に突撃する前に潜んでいた場所です。
今川義元をうちとった後、信長はこの釜ヶ谷に全軍を集めて勝ち鬨(かちどき)をあげました。
桶狭間の戦いで織田信長が潜んでいた釜ヶ谷の場所は?地図と画像で説明
長福寺
長福寺(ちょうふくじ)は桶狭間の戦いの後に織田信長が、今川義元や今川軍の武将の首検証をした場所と言われています。
その時に立ち会った茶坊主、林阿弥は主君の義元やその家臣の菩提を弔うために再び寺を訪れました。
その時に持参した阿弥陀如来像が、現在も長福寺のご本尊として祀られています。
堂内には、今川義元と松井宗信の木像も安置されています。
桶狭間の戦いの長福寺の行き方は?今川義元の首実検が行われた場所
戦評の松
桶狭間の戦いの当時に大きな松があった場所です。
松の木の下で今川軍の瀬名氏俊が戦評を行ったことから戦評の松(せんぴょうのまつ)と呼ばれています。
初代の松は伊勢湾台風で倒れ、2代目乃松は松喰い虫の食害によって枯れました。
現在の松は3代目です。
桶狭間神明社
桶狭間神明社(おけはざましんめいしゃ)は、瀬名氏俊が今川軍の戦勝祈願した時に奉献した酒樽が残されている神社です。
桶狭間神明社の駐車場や御朱印は?今川義元家臣が戦勝祈願した社
高根山
桶狭間の戦いの中心地付近で最も高い場所が高根山(たかねやま)です。
今川義元軍の先鋒として松井宗信が着地した場所で、織田信長側の軍を監視しました。
桶狭間の戦いの高根山の場所とアクセスは?今川義元家臣の布陣地
高徳院
おけはざま山とともに桶狭間の戦いの際に、今川義元の本陣が置かれた場所の候補地とされています。
境内には今川義元の本陣があったことを示す碑があります。
桶狭間古戦場の高徳院とは?戦いの時に今川義元本陣が置かれた場所?