桶狭間の戦いの跡地は諸説ありますが、愛知県名古屋市の桶狭間古戦場公園は、
今川義元がうちとられた場所という説がある歴史的な場所で、現在は公園として整備されています。
桶狭間古戦場公園の入園料や見学時間は?
桶狭間古戦場公園は、その名の通り公園で地元の子どもたちの遊び場になっています。
私が訪れたときも子どもたちが「キャッキャ」「ワッハ」と鬼ごっこをしていました!
解放されている公園なので入園料はなく、誰でも立ち入ることができます。
見学可能な時間も定められておらず、24時間いつでも立ち入ることができます。
桶狭間古戦場公園の見どころ
織田信長像・今川義元像
公園の中央に織田信長と今川義元の像があります。
桶狭間古戦場公園のシンボルのような存在です。
両像の間には、近世の曙という文字が書かれた石碑があります。
織田信長は桶狭間の戦いで勝利し、天下統一に向けて大きく進むことになります。
この戦いが群雄割拠していた戦国武将の争いの時代を終焉に向かわせるきかっけになったというから、近世の曙という字が書かれています。
向かって左側の立ち姿で槍を持つのが織田信長です。
向かって右側の弓を持つ坐像が今川義元像です。
像を背面からの見たのが上の写真。
右側の信長の背中がセクシー。
ジオラマ公園
桶狭間の戦いに関する土地の地図を公園内に模型的に配置したジオラマで、
織田信長や今川義元の進軍路もあり、合戦の様子を俯瞰して見ることができます。
上の写真は解説板の板の字が間違ってますね。
のちほど修正致します。
城や砦は台形の土台で表現され、街道は標識で示されています。
清洲城のジオラマです。
台形の土台で表現されています。
大高道・東浦街道を示すジオラマです。
他の街道もこのように表現されています。
次郎法師(井伊直虎)の父・井伊直盛も桶狭間の戦いに今川側として、出陣しました。
井伊直盛が陣を敷いた巻山もジオラマで再現されています。
解説版を見ながらジオラマを見ると、織田軍と今川軍がそれぞれどのように進行したのかがわかります。
熱田神宮の信長塀
織田信長が桶狭間出陣の際に、熱田神宮に願文を奏し、今川義元を敗ることができたので、
そのお礼として熱田神宮に奉納した塀が信長塀(のぶながべい)です。
義元首洗いの泉
織田軍が桶狭間の戦いで今川義元の首を取った後、この泉で清めたと伝えられています。
また、義元水汲みの泉とも呼ばれています。
泉の中にくるくる回る桶があったので、桶廻る狭間が桶廻間、それが桶狭間の地名の由来になったとう伝承もあります。
時間帯によってはゴボゴボ噴水のように下から水が湧いてきます。
馬つなぎの社松
桶狭間の戦いの時に、今川義元の馬をつないだというネズ(ヒノキ科ビャクシン属の針葉樹)の木です。
触れると熱病にかかるという伝承があります。
もともとネズ塚にあったものを現在の場所に移植し、枯木として残しています。
「ねづの木」「ねずの木」どちらの表記も見かけますが、正しいのはどっちなんでしょうか。
中京競馬場前駅からすぐのところにある桶狭間古戦場伝説地にも
義元が馬をつないだ伝承があるネズの木がありますが、どっちが本当に伝承通りのネズの木なのか?
はたまたどちらも違うのか?妄想する余地がありますね!(笑)
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