桶狭間の戦いで、今川義元が本陣を敷いたとされる場所がおけはざま山です。
おけはざま山の周辺は、現在住宅地となっていて、場所がわかりづらいです。
この記事では、おけはざま山の場所を地図や画像で紹介します。
おけはざま山とは?
おけはざま山は桶狭間の戦いの際に今川義元の本陣があったとされる場所です。
「おけはざま山」というのは固有の山の名前を示しているわけではなく、
戦があった当時の大脇村と桶狭間村の境界にある桶狭間の山のことを指しています。
このおけはざま山は、今川軍の先陣隊が陣を構えた巻山、幕山、高根山を一望できる場所であったとされます。
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実際に今川義元が本陣を敷いたのは、おけはざま山の石碑の西側にある高台だったそう。
ちなみに巻山はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・次郎法師(井伊直虎)の
父である井伊直盛(いいなおもり)が陣を敷いた場所です。
おけはざま山の周囲は現在、住宅街となっているため往事の様子を想像するのはたやすいことではありませんが、
それでも眺めが良い場所であることはわかります。
昔はもっと開けていたはずなので、見晴らしは良かったのでしょう。
今川義元が本陣を敷く場所として選んだ理由がわかるような気がしますね!
上の写真はおけはざま山の碑から少し離れた場所にある坂の上から撮影したものです。
おけはざま山の碑の前からの眺めの写真は撮り忘れていました(汗)
上の写真の坂を少しくだったところにおけはざま山の碑があります。
ご存じの通り、桶狭間の戦いは織田信長軍が今川義元がいる本陣に突撃をかけ、
義元が討ち取られるという結末を迎えます。
今川義元が追い込まれたのは、おけはざま山から歩いて行ける距離にある桶狭間古戦場公園辺りとされているようです。
また、織田信長は釜ヶ谷からおけはざま山の今川義元本陣に突撃をかけました。
この釜ヶ谷もおけはざま山からそれほど遠くない場所にあります。
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ちなみに、今川義元本陣と推測される場所はおけはざま山だけでなく、高徳院も候補のひとつです。
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地図をご覧になればわかると思いますが、本当に周りは住宅だらけなんです。
おけはざま山への行き方
おけはざま山の碑は現在、住宅街にあるのでわかりづらいです。
アパートの前にあり碑がありますが、周りの景色と溶け込んでいるので、何も知らなければ気づかず素通りしてしまいそうです。
周辺で目印となるのは桶狭間古戦場公園なので、まず桶狭間古戦場公園に行ってそこから歩いておけはざま山の碑の場所まで、行くことをおすすめします。
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桶狭間古戦場公園からおけはざま山の碑まで直接向かうのもいいですが、
今川義元の本陣跡まで行ってから、おけはざま山の碑まで向かうのも手です。
桶狭間古戦場公園から今川義元本陣跡まで向かうと次のような標識があります。
標識では左方向に進むとおけはざま山があることが示されています。
左の道を進むと次のような急なのぼり坂があります。
写真で見ても急斜面だとわかるほどののぼり坂です。
この坂を上るとガードレールがありますが、そこに次のような解説・地図が貼られています。
ここから撮影した風景が、当記事の前半で紹介した次の写真です。
この写真の坂の下くだりながら、進行方向の左側に注意を向けましょう。
アパートの前におけはざま山の碑があります。
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