瀬名氏俊陣地跡(桶狭間の戦い)

瀬名氏俊(せなうじとし)は今川義元の家臣で、先発隊として桶狭間へ向かった人物です。

桶狭間にはこの瀬名氏俊が陣を敷いた瀬名氏俊陣地跡があります。

この記事では瀬名氏俊陣地跡の概要や場所について紹介します。

瀬名氏俊陣地跡とは?

瀬名氏俊陣地跡(桶狭間の戦い)
瀬名氏俊陣地跡(桶狭間の戦い)

瀬名氏俊(せなうじとし)は今川義元の家臣で、桶狭間の戦いでは、今川義元の本陣を敷いた人物です。

 

桶狭間の戦いは1560年の旧暦5月19日に起こりましたが、瀬名氏俊は先発隊として200名程の兵を率いて、

いくさの2日前の旧暦5月17日に桶狭間の地を訪れ着陣しました。

その場所の跡地が瀬名氏俊陣地跡です。

 

瀬名氏俊は桶狭間神明社を参拝し、今川軍の戦勝を祈願し、戦評の松の下に武将を集めて軍議を開きました。

そして今川義元の本陣を敷設しました。

 

本陣設営を終えた瀬名氏俊は、大高城に向かったため、桶狭間の戦いで直接戦闘を行っておらず、

いのちを落とすことはありませんでした。

 

瀬名氏俊陣地跡の前には、池があります。

毎年、5月の中旬に「桶狭間古戦場まつり」が開催されてますが、

この池のほとりでは今川義元、織田信長の両軍の戦死者をとむらう万灯会が行われます。

 

万灯会では、池のまわりに3500本のロウソクが灯されるそうです。

この3500という数字は、桶狭間の戦いの今川・織田両軍の戦死者の合計人数が由来となっています。

 

桶狭間の戦い当時の瀬名氏俊陣地跡の周囲はトチの木の林になっていたそうです。

地盤も高く、陣を敷くような地形になっていたようです。

 

瀬名氏俊陣地跡
瀬名氏俊陣地跡

のちに一帯は竹林となりました。

この竹林は里の人々から「セナ藪(せなやぶ)」「センノ藪」と愛称で呼ばれていましたが、

1986年の池の堤防工事の際に、このセナ藪も取り壊され、現在はわずかな竹が残るのみとなっています。

 

瀬名氏俊陣地跡の場所はどこ?

瀬名俊陣地跡の所在地(住所):〒458-0925 愛知県名古屋市緑区桶狭間332

 

瀬名氏俊陣地跡の前には池があります。

この池が訪問する際の目印になります。

 

瀬名氏俊陣地跡の行き方は?

瀬名氏俊陣地跡へ行くのは桶狭間の戦いの歴史探訪をしに来ている人がほとんどだと思いますので、

桶狭間古戦場公園にも行く人が多いと思います。

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上の地図は、桶狭間古戦場公園から瀬名氏俊陣地跡までのルートです。

 

瀬名氏俊陣地跡は桶狭間古戦場公園から徒歩2分くらいの場所にありますので、桶狭間古戦場公園から南へ向かいましょう。

古戦場公園を出るとすぐに池が見えるはずなので、池の東側に沿って進みましょう。

瀬名氏俊陣地跡に着きます。

 

また、池の対岸には瀬名氏俊が軍議を開いたとされる戦評の松がありますので、合わせて巡ると良いでしょう。

 

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