仏像は如来・菩薩・明王・天の大別できますが、この記事では如来の種類について紹介します。
釈迦如来
多くの種類の仏像のオリジナルと言えるのが釈迦如来です。
釈迦は遠い昔のインドに実在した人物で、王族として生まれましたが出家して修業した後に悟りを開きました。
悟りを開いた後の釈迦の姿を表したのが釈迦如来です。
釈迦如来の像容は穏やかな表情で、装飾品を身につけておらず、持物も持っていません。
髪型は巻貝が集まったような螺髪ですが、清涼寺式釈迦と呼ばれる釈迦は螺髪ではなく、渦巻き状の髪型をしています。
清涼寺釈迦の清涼寺とは京都市にある寺院で、鎌倉時代以降に清涼寺の釈迦如来立像を模倣した像が数多く作成されていて、それらの像を総称して清涼寺釈迦と呼びます。
釈迦如来の印相は「右手を恐れなくてもよいことを相手に伝えるサイン」の施無畏印(せむいいん)、左手を「願いを叶えようというというサイン」の与願印(よがんいん)とする像が最も一般的です。
禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の寺院では「瞑想に入っていることを示す」定印(じょういん)の像が作成されることが多いです。
その他には「真理を説く」説法印や「悪魔を降伏させる」降魔印(ごうまいん)を結ぶ像もあります。
有名な釈迦如来像をピックアップ!
・法隆寺金堂(奈良県生駒郡斑鳩町) 釈迦三尊像の中尊 国宝
・清涼寺本堂(京都市) 釈迦如来立像(清涼寺式釈迦) 国宝 毎月8日のみ公開
・室生寺弥勒堂(奈良県宇陀市) 釈迦如来坐像 国宝
・蟹満寺(京都府木津川市) 釈迦如来坐像 国宝
阿弥陀如来
阿弥陀とは無量のことで、どこまでも無限に広がっていることを意味します。
阿弥陀如来は私たちが住み娑婆世界の夕日が沈む西方の遥か彼方にある極楽浄土にいて、そこで教えを説き、無限の慈悲の光で人間を永遠に救済する仏とされています。
阿弥陀如来の名前を唱えれて拝めば、極悪人でも必ず極楽往生できると説かれています。
このように阿弥陀如来のご利益で最も大きく取り上げられるのが極楽往生です。
日本では平安時代以降に阿弥陀如来がいる極楽浄土に往生しようとする浄土教の信仰が盛んになり、鎌倉時代に法然が浄土宗を開き、親鸞が浄土真宗を開いて、「阿弥陀如来にすがれば誰でも極楽往生できる」と説いたことから広く信仰されました。
現在でも浄土宗、浄土真宗の寺院は非常に多く、阿弥陀如来は多くの人々から信仰されています。
阿弥陀如来の像容は釈迦如来と似ていて、髪型や身なりで見分けれないのが普通です。
見分ける時のポイントになるのは印相で、阿弥陀如来の特徴的な印相は九品来迎印(くほんらいごういん)です。
来迎印は阿弥陀如来の信仰者の臨終に、阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相です。
極楽浄土の仕方は、信仰者のそれまでの行いや心の在り方によって上の上に位置する「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」から下の下に位置する「下品下生(げぼんげしょう)」まで9段階あります。
九品とは9つの等級にわけられた浄土の総称で、九品来迎印は上品上生から下品下生まで9種類あります。
京都市木津川市の浄瑠璃寺には九品浄土の概念に基づいて9躯の阿弥陀如来が横並びに安置されていることで知られています(九体阿弥陀仏)。
(中尊以外の8躯の印相は上品上生を示す印相ですが。)
仏像を区別する時に阿弥陀来迎印を結んでいれば阿弥陀如来像とわかるのですが、天平時代以前の阿弥陀如来像には法隆寺の橘夫人念持仏のように右手を施無畏印・左手を与願印とする作例があり、平安から鎌倉時代にかけては定印を結ぶ作例もあって、釈迦如来と同じ印相・身なりで区別できない場合もあります。
有名な阿弥陀如来像をピックアップ!
・高徳院(神奈川県鎌倉市) 阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏) 国宝
・平等院鳳凰堂(京都府宇治市) 阿弥陀如来坐像 国宝
・法隆寺大宝蔵殿(奈良県生駒郡斑鳩町) 阿弥陀三尊像の中尊(橘夫人念持仏) 国宝
・浄瑠璃寺(京都府木津川市) 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀仏) 国宝
・禅林寺(京都市) 阿弥陀如来坐像(永観堂の見返り阿弥陀) 重要文化財
薬師如来
薬師如来は私たちが住む娑婆世界の東方にある瑠璃高世界にいて、そこで教えを説いています。
阿弥陀如来が極楽往生に導く側面が強く取り上げられるのに対して、薬師如来は病気平癒や衣食を満たすという現世利益の仏として信仰されてきました。
薬師如来の像容は釈迦如来や阿弥陀如来と似ていますが、左手に薬壺(やっこ:文字通り薬の壺)を持つ像が多いのが特徴です。
奈良市の薬師寺の薬師如来坐像のように、古い時代の作例では薬壺を持たないものが多く、その場合は釈迦如来と区別できません。
印相は右手で三界印を結ぶのが特徴的ですが、古い時代の作例では右手を施無畏印・左手を与願印とする場合もあります。
有名な薬師如来像をピックアップ!
・薬師寺金堂(奈良市) 薬師三尊像の中尊 国宝
・新薬師寺(奈良市) 薬師如来坐像 国宝
・神護寺(京都市) 薬師如来立像 国宝
・元興寺(奈良市) 薬師如来立像 国宝 奈良国立博物館に寄託されていて、なら仏像館で展示されていますが、完全に常設ではないので展示期間の確認が必要です。
・勝常寺(福島県河沼郡湯川村) 薬師三尊像の中尊 国宝 冬期は拝観を休止しています。
毘盧舎那如来
毘盧舎那如来は仏教の法(教え)を神格化した如来で、永遠不滅の宇宙の真理を表しています。
像容は釈迦如来と似ていますが、宇宙の真理という観念のスケールの大きさからわかるとおり、造像が大規模になりがちなこともあって、毘盧舎那如来の作例は少ないです。
ほとんど遭遇することのない種類の仏なので次にピックアップする毘盧舎那如来像の作例を知っておけば良いかと思います。
有名な毘盧舎那如来像をピックアップ!
・東大寺大仏殿(奈良市) 毘盧舎那如来坐像(奈良の大仏) 国宝
・唐招提寺金堂(奈良市) 毘盧舎那如来坐像(奈良市) 国宝
・戒壇院本堂の毘盧舎那如来坐像(福岡県太宰府市) 重要文化財
大日如来
大日如来は密教(真言宗や天台宗)に存在する如来です。
永遠不滅の宇宙の真理を表したのが毘盧舎那如来ですが、大日如来は密教の思想に基づいてそれを更に発展させた如来です。
毘盧舎那如来像と同様に大きすぎる観念を表現した如来ですが、大日如来の作例はそれなりにあります。
大日如来の像容は他の如来と大きく異なり、冠をかぶり、装身具を身につけているのが一般的です。
髪は螺髪ではく、長い髪を結いあげているので、髪型や身なりを見る限り、如来よりも菩薩に近い姿をしています。
大日如来は、大日如来を慈悲の面から捉えた胎蔵界(たいぞうかい)大日如来と智慧の面から捉えた金剛界(こんごうかい)大日如来の2種類が存在します。
胎蔵界が静を示し、金剛界は動を示していて、両方がそろって密教の世界観が成立します。
胎蔵界と金剛界の大日如来の見分け方は印相の違いです。
胎蔵界大日如来は法界定印(ほうかいじょういん)を結び、金剛界大日如来は智拳印(ちけんいん)を結びます。
胎蔵界大日如来の作例は金剛界と比べると少ないです。
有名な大日如来像をピックアップ!
・円成寺多宝塔(奈良市) 大日如来坐像(運慶作) 国宝
・東寺講堂(京都市) 五智如来の中尊 重要文化財
・高野山金剛峯寺根本大塔(和歌山県伊都郡高野町) 五智如来の中尊
・向源寺(滋賀県長浜市) 大日如来坐像 重要文化財
弥勒如来
弥勒如来は弥勒菩薩が悟りを開いた後の姿で、釈迦が入滅してから56億7千万年後に私たちがいるこの世界に現れて釈迦如来が救済できなかった人々を救済するとされています。
釈迦如来がこの世を去ってから正法(しょうぼう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)という時代が順番に訪れるという考えがあり、弥勒信仰はこの歴史観(末法思想と呼ばれる)と大きく関わりがあります。
正法は釈迦の教えがあり、教えに従って修行する者がいて、悟りを開く者がいる時代(一般的に釈迦がこの世を去ってから500年~1000年間とされる)。
像法は釈迦の教えがあり、教えに従って修行する者がいても、悟りを開く者はいない時代(正法の後の500年~1000年の間)。
末法は釈迦の教えがあっても、修行する者がいなくて、悟りを開く者もいない時代(像法の後の1万年)。
正法 → 像法 → 末法 と後にの時代になるほど、世の中が悪い状態になります。
日本では平安時代後期の1052年から末法の世が始まるとされ、末法になると世の中が乱れ、争いばかりが起こると恐れられました。
弥勒は現在は菩薩で、如来になるのは遠い未来になってからなのですが、末法を恐れた人々は如来になった後の弥勒の姿を先取りして造像しました。
それが弥勒如来像です。
弥勒如来の像容は螺髪で装身具をつけない釈迦如来に似ていています。
印相も釈迦如来に多い施無畏印・与願印を結ぶのが一般的で、外見で釈迦如来と区別できない場合もあります。
有名な弥勒如来像をピックアップ!
・興福寺北円堂(奈良市) 弥勒仏坐像(運慶作) 国宝 毎年春と秋の一定期間のみ公開
・當麻寺金堂(奈良県葛城市) 弥勒仏坐像 国宝
・慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町) 弥勒仏坐像 国宝 原則21年に1度だけ公開
・東大寺ミュージアム(奈良市) 弥勒仏坐像(試みの大仏) 国宝