京都の高雄神護寺の本尊・薬師如来立像の拝観情報と概要を紹介します。
神護寺の国宝・薬師如来立像の拝観情報
拝観できる場所と公開期間
国宝・薬師如来立像は金堂の内陣に安置されています。
非公開の秘仏ではなく、常時公開されている仏像です。
参拝者は金堂の内陣に立ち入ることができるので、そこそこ近い距離で拝観できます。
ただし、11月の紅葉のシーズンは神護寺の参拝者が多く、混み合うため金堂内陣に立ち入れないようにしているようです。
内陣に入れなくても薬師如来像を拝観することはできますが、遠い距離から拝観することになります。
なるべく近くで拝観することに重きを置く場合は、紅葉シーズン以外に参拝することをおすすめします。
拝観時間と拝観休止日
拝観時間は午前9時00分~午後4時00分。
神護寺は年中無休です。
拝観料金
神護寺の拝観料は楼門を通る前に、となりにある拝観受付で納めます。
多宝塔の国宝・五大虚空蔵菩薩像の特別公開や
大師堂の重要文化財・板彫弘法大師像の御開帳の拝観では追加の拝観料が必要ですが、
金堂の拝観は神護寺境内の拝観料(入山料)だけでできます。
神護寺の拝観料 ( )内は団体料金
団体割引は30名以上の時に適用
- 大人:600円(500円)
- 大学生:600円(500円)
- 高校生:600円(400円)
- 中学生:600円(400円)
- 小学生:300円(200円)
障害者の拝観料
- 中学生以上:300円
- 小学生:200円
国宝・薬師如来像ってどんな仏像?
神護寺 薬師如来立像
- 員数:1躯
- 文化財指定:国宝
- 時代・年代:平安時代初期(8世紀末)
- 素材・技法:木造(カヤの一木造)、素地
- 像高:170.6cm
↓薬師如来像はこんな仏像です。
平安時代の到来を告げる仏像です。
聞こえの良い書き方をすると、仏像史の新時代を切り拓いたパイオニア的存在ですが、
穏やかで優しいお顔をされているほとけさま
という多くの人が一般的に抱いているであろう仏像のイメージとは真逆で、おっかないお顔をされています。
頭部の高い肉髻や強いまなざしも印象的。
膨らみのある上瞼と下瞼が目力を感じさせる要因となっているのでしょうか。
カヤの一材で頭頂から台座の蓮肉下の心棒まで掘り出されています。
螺髪と両腕は別材。
衣文の深さと鋭さ、大腿部に触れる衣には皺を刻まずに脚の太さを強調する表現など
平安時代初期の仏像に流行したスタイルが見られます。
弾力を感じさせる肉身からもこの時代の仏像らしさを感じます。
正面から見ても十分に厳しさと恐ろしさを感じられる像ですが、
私個人としては突き出た唇と少し大きく造られた鼻をはっきりと確認できる横顔にさらに強いインパクトを感じます。
神護寺金堂では厨子に入っていることもあり、横顔を拝めないのが少し残念です。
私が神護寺薬師如来像に対して抱くのは、
腹の底では何を考えているのかわからない人の怖さ
ガミガミ言ってくる人より、冷たい表情で黙っている人の方が怖く感じることはありませんか?
相手の胸中が読めない分、自ずと想像力が働き恐怖心が膨みます。
そのため怒りの感情を発露した明王像や天部像よりも、神護寺薬師如来像の方が怖く感じるのです。
怖いと思いつつも、内に秘めた思いを想像する余地があるので
そのミステリアスな感じが好きなんですけどね(笑)
私の中で存在感が大きい像なので、実物を拝んだ時は想像より小さく感じました。
像高は170.6cmなので、ちょうど現代の日本人男性の標準的な体格と同じです。
そもそも一木造なので、像高の上限は知れているのですが。
神護寺薬師如来像の製作者は誰?
神護寺薬師如来立像の作者は不詳です。
この時代の仏像の作者は不明なのが普通というのは、少しでも仏像に興味を持っている人ならすぐにわかることです。
しかし、google先生が言うには具体的な数値は教えないけど、
「神護寺薬師如来像 製作者」というキーワードで検索をする人が一定の割合いるとのこと。
仏像に興味を持っている人は上記のような検索はしないはずです。
仏像に興味があるわけではないのに神護寺薬師如来について検索する層というと、高校生でしょうか?
神護寺薬師如来は、私の高校時代の日本史の資料集に載ってましたし。
振り返れば、高校日本史の資料集が私と神護寺薬師如来像の馴れ初めですね(笑)
当時はまだ、仏像に興味を持っていたわけではありませんが。
検索者が高校生じゃなければ、仏像史の世界に足を踏み入れたばかりの大学生か、
仏像に興味を持ち始めたばかりの一般の人というところでしょうか?
google先生は「神護寺薬師如来像 定朝」で検索してくる人もいるぜとも教えてくれました。
【神護寺薬師如来像 定朝】って何?
「神護寺薬師如来像 作者」よりも謎なのが「神護寺薬師如来像 定朝」です。
神護寺薬師如来が造像されたのは、定朝が生きた時代よりはるか以前であることは明らかなので、
神護寺薬師如来の作者が定朝だと思って検索する人はいなさそうです。
のちに大流行する定朝様との違いを比較したり、時代ごとの作風の変遷を知ろうとした人が検索したのでしょうか?