清水寺本堂の近くにある朝倉堂(あさくらどう)の歴史や建築の概要を紹介します。
朝倉堂の場所は?清水寺境内のどこにある?
清水寺朝倉堂は上図の黄色の四角の場所にあります。
拝観チケット売り場の近くにある轟門と清水の舞台がある本堂の間にあります。
画像の左端に写っているのが朝倉堂です。
清水寺朝倉堂の歴史は?お堂の名前の由来も
朝倉堂が創建されたのは1510年(永正7年)です。
清水寺は応仁の乱の最中の1469年に伽藍が焼失しましたが、乱後に復興されました。
この時、越前(現在の福井県)の守護大名・朝倉貞景(あさくらさだかげ)の寄進により、法華三昧堂(ほっけざんまいどう)が建立されたため、朝倉堂という名称で呼ばれています。
法華三昧堂とは法華三昧を行う仏堂のことで、法華三昧とは、法華経という経典に基づいて行う修行です。
朝倉氏は一族を挙げて寄進を行っています。
応仁の乱後の寄付では、材木で326本分、銭6535貫文が集まっていますが、このうちの過半数にも及ぶ3800貫文は朝倉氏によって寄進されたものです。
創建当初の朝倉堂は1629年(寛永6年)の大火災によって焼失しました。
現存する建造物は1633年(寛永10年)に再建されたものです。
朝倉堂の建築は?ここにも清水の舞台があった?
前述したとおり、現存する朝倉堂は1633年に再建されたものです。
屋根は本瓦葺の入母屋造。
創建当初は朱色でしたが、現在の朝倉堂は彩色を施さない全面白木造です。
桁行五間で奥行が約10m。
梁間三間で横幅が約6m。
舞台造りというと清水の舞台として親しまれている清水寺本堂の建築です。
16世紀に描かれた清水寺参詣曼荼羅には、清水寺の参道や伽藍が描かれていますが、そこに描かれている朝倉堂は斜面の上に建つ舞台造りの建築でした。
このことから創建当初の朝倉堂は舞台造りであったことがわかります。
しかし、1629年の寛永の大火災の後に焼け跡が整地され、この時に朝倉堂の周囲は平坦になったため、現在の朝倉堂は舞台造りではありません。
ちなみにこの整地の際に、地下から石函が出土し、中から約7寸(約22cm)の清水寺型千手観音像が発見されています。
この千手観音像は清水寺成就院の本尊として持仏堂に安置されています。
朝倉堂は2013年(平成25年)に修復されています。
朝倉堂の本尊も清水寺型千手観音!内部の拝観はできる?
朝倉堂の堂内にある板葺宝形造の唐様厨子の内部には清水寺型千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩の三尊像が安置されています。
本堂の本尊、脇侍と同じ組み合わせです。
千手観音が脇手のうちの2本を頭の上に挙げた清水寺型千手観音である点も同じです。
ですが、朝倉堂の内部は非公開であるため御像を拝観することはできません。
外観しか見ることができない朝倉堂は素通りされがちですが、朝倉堂の東側には仏足石がありますので、これも見逃さないように!
朝倉堂は洛陽三十三所第13番札所で御朱印あり
朝倉堂は、洛陽三十三所観音霊場第13番札所となっています。
清水寺の御朱印の受付時間や場所は?御詠歌や限定の種類もある?
御朱印を頂ける場所や清水寺で頂ける他の種類の御朱印を上記の記事で紹介しています。