奈良の興福寺にある四天王立像が2018年に国宝指定(見込み)になりました。
これによって興福寺の国宝仏像(彫刻)件数は全国第1位になりました。
新国宝の四天王立像は安置場所が変更されるのでその情報についても触れます。
興福寺の国宝仏像(彫刻)件数が全国第1位に!
2018年に国宝指定(見込み)の四天王立像を加えると、興福寺の国宝彫刻件数は18件になります。
この件数は全国第1位です。
これまでの17件でも法隆寺と同件数で、1位タイでしたが、完全に1位になりました。
2018年に国宝指定見込みの四天王立像とは?
#運慶展 会場のライティングをお褒めいただく感想を多くお見かけします。ありがとうございます。像の後ろに落ちるシルエットまでかっこいいので、ぜひご注目くださいね。
写真は運慶の父康慶による、重要文化財 四天王立像(奈良・興福寺蔵)。 pic.twitter.com/9Q2P83EgBP— 龍燈鬼@運慶展【公式】 (@unkei2017) 2017年10月1日
↑東京国立博物館の運慶展で展示された康慶作の四天王立像。
新たに国宝指定された四天王立像は、運慶の父・康慶作の4軀の四天王像。
興福寺では長らく中金堂の再建工事が行われていました。
その中金堂の一般公開が2018年10月20日から開始されます。
工事中の中金堂の背面には、仮金堂と呼ばれるお堂がありますが、これは1975年に興福寺講堂跡に仮の中金堂として建てられたお堂です。
(中金堂の再建工事が終わりに近づいた2017年頃に仮金堂は「仮講堂」という名称のみの変更が行われています。)
康慶作の四天王立像は、この旧・仮金堂(現・仮講堂)に安置されている仏像。
旧・仮金堂(現・仮講堂)は通常非公開のお堂なので、普段はこの四天王立像を拝観することはできませんでした。
(過去に仮金堂の特別拝観が実施されたことがあり、康慶の四天王立像が公開されたこともありましたが、拝観の機会が少ない仏像でした。)
この四天王立像は、2017年秋に東京国立博物館で開催された興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」(通称、運慶展)で展示されましたが、運慶展の終了後に安置場所が変更され、興福寺南円堂に配置されることになりました。
場所が変わったものの、南円堂も通常非公開のお堂で、御開扉されるのは1年に1日(10月17日)だけなので、相変わらず拝観する機会が少ない仏像であることに変わりありませんね。
元のお堂にお帰りになった記念として、南円堂の御開扉期間を延長する特別公開をしてくれないかなーと思ったりします(笑)
康慶の四天王立像が仮金堂から南円堂に移動する理由は?
興福寺には4組の四天王立像が現存しています。
興福寺の四天王立像
- 東金堂の四天王立像(国宝)
- 北円堂の四天王立像(国宝)
- 南円堂の四天王立像(国宝)
- 旧・仮金堂(仮講堂)の四天王立像(2018年新指定の国宝)
4件とも国宝指定されているのが凄いですね。
東金堂の四天王立像は平安時代初期の作。
現存する東金堂は鎌倉時代に再建されたもので、東金堂の四天王立像は東金堂再建後に、どこか別のお堂から移されたようです。
東金堂に安置される以前の伝来については不詳。
北円堂の四天王立像は平安時代初期の作。
もともと興福寺の仏像ではなく、奈良の大安寺から伝来した像です。
鎌倉時代に興福寺で修復が行われていたことから、その頃までには興福寺に移されていた模様。
【#運慶展】出品
国宝「四天王立像」奈良・興福寺蔵(写真は多聞天像)
興福寺南円堂の四方に安置された像高約2メートルの巨像。動きが大きく力強い。装飾豊かなよろいや着衣の表現も見どころです。 pic.twitter.com/BhBDDfUmMT— 龍燈鬼@運慶展【公式】 (@unkei2017) 2017年9月4日
↑運慶展で展示された南円堂の四天王立像(画像は多聞天像)
南円堂の四天王立像は鎌倉時代の作。
旧・仮金堂の四天王立像が後述する理由で、もともと南円堂に安置されていたことが判明しています。
一つのお堂に2組の四天王立像を配置するのは不自然なので、この四天王立像はもともと別のお堂に安置されていて、南円堂に移されてきたことがわかります。
北円堂にもともとあったのではないかという説が有力ですが、疑問点も多く断定しきれません。
旧・仮金堂(仮講堂)の四天王立像は鎌倉時代の作。
前述の通り、運慶の父にあたる康慶の仏像。
一乗寺本の南円堂曼荼羅図などに描かれている四天王立像のポーズや細部の形式が、この四天王立像に似ていることから、もともとは南円堂に安置されていたことがわかりました。
以上のことから、4組の四天王立像のうち旧・仮金堂(仮講堂)の四天王立像だけが、もともと安置されていたお堂がはっきりしています。
そのため旧・仮金堂(仮講堂)の四天王立像を南円堂に移動させることが決まったようです。
(いつから決めていたのかはわかりませんが。)
当たり前ですが、南円堂に移動させようにも、南円堂にも既に四天王立像が安置されているため、こちらの像も移動させる必要があります。
下記の「興福寺 公式サイトのリンク」の情報を見る限り、旧・仮金堂と南円堂の四天王立像の配置場所を入れ替えるようです。
(中金堂がもうすぐ完成するので、南円堂の四天王立像は旧・仮金堂(仮講堂)ではなく、中金堂に移されるのでしょうけど)
http://www.kohfukuji.com/property/cultural/094.html
http://www.kohfukuji.com/property/cultural/092.html
2組の四天王立像は運慶展で展示されました。
運慶展終了後に興福寺に戻す必要があったため、場所を入れ替えるにはちょうど良いタイミングだったということでしょうか。
一般公開後の中金堂は通常拝観できるお堂っぽいです。
これまで南円堂に安置されていて年に1日しか拝観できなかった四天王立像が、中金堂に移るとすれば、いつでも拝観できるようになるのでしょう。
興福寺の四天王立像のなかでは、南円堂にあったものが一番好みのタイプなので嬉しいです!
↓三十三間堂の千手観音立像も2018年の国宝指定見込み
とても親切に、比較的に丁寧に記述していただきまして嬉しく存じました。今日は無著世親への興味に引きずられて見させていただきましたが、久しぶりにとても懐かしく思いました。無着の像についても運慶と断定的に仰るご意見もありましたが、今回、それとなく疑問があるような表現をなさっているのを拝見いたしまして、すっとしました。運慶かもまたお弟子の誰かかも、別人ならば、名前がわかれば名彫刻師の出現ですね。日本の人々が日本古来の美術に誇りをもって愛し鑑賞されますように、何卒ご尽力いただければ嬉しく存じます。皆々様の健康をお祈りいたします。