薬師寺と新薬師寺の違いと関係のアイキャッチ画像

奈良に薬師寺というお寺があります。

薬師寺は、”ならの大仏”を祀る東大寺や”阿修羅像”と”五重塔”で有名な興福寺とともに世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成資産となっている寺院です。

一方、奈良には新薬師寺というお寺もあります。

薬師寺と名前が似ていますが、両者にはどんな関係があるのでしょうか。

本薬師寺・薬師寺・新薬師寺の場所はどこ?マップを掲載

今回の記事で登場する下記の3か所にマップピンを立てています。

  • 黄色のマップピン:本薬師寺(薬師寺の前身)
  • 赤色のマップピン:薬師寺(世界文化遺産)
  • 青色のマップピン:新薬師寺(新たかな薬師寺)

 

薬師寺と新薬師寺の違いについて説明するうえで、「本薬師寺」という寺院も紹介する方がわかりやすいので、そこにもマップピンを立てています。

それでは、本題に入ります。

薬師寺と新薬師寺はどう違う?

薬師寺金堂
薬師寺金堂

薬師寺も新薬師寺も奈良県奈良市に現存する寺院です。

 

両者の違いを知るには、それぞれの創建の歴史に触れるとわかりやすいです。

 

薬師寺とその前身の本薬師寺

現在、奈良市西ノ京町にある薬師寺は、都が藤原京にあった時代に飛鳥(奈良県橿原市)の地に建立された薬師寺が平城遷都に伴って移転した寺です。

 

藤原京にあった薬師寺は便宜上、「本薬師寺(もとやくしじ)」 と呼ばれています。

 

つまり本薬師寺は、薬師寺の前身ということになります。

本薬師寺(奈良県橿原市城殿町):藤原京の時代に建立

薬師寺(奈良県奈良市西ノ京町):平安京遷都の際に移転

 

本薬師寺は680年に天武天皇(てんむてんのう)が「皇后の病気平癒を祈って」創建されました。

 

”薬師寺”というお寺は、この記事で取り上げている奈良県西ノ京にあるものが有名ですが、同じ名前のお寺は日本各地にあります。

 

「薬師寺」という名の寺院は「(誰かの)病気を治したい」という動機で、病気平癒にご利益がある薬師如来(やくしにょらい)という仏さまを本尊として建てられることが多いです。

本薬師寺の場合もその例に漏れません。

 

 

ただ本薬師寺は、天武天皇が存命のうちに本薬師寺は完成せず、次の持統天皇(じとうてんのう)の時代になり、さらにその次の文武天皇(もんむてんのう)の時代になって、堂宇が完成したとされています。

 

そして次の元明天皇(げんめいてんのう)の時代に都は藤原京から平城京に移されました。

この時に本薬師寺は、現在の西ノ京町の地に移転したのです。

 

現在の本薬師寺は飛鳥の地に伽藍の遺構が残るのみでお寺として機能していません。

(しかし、平城遷都の時になくなったわけではなく、しばらく本薬師寺と薬師寺が併存する形が続きました。)

 

一方、平城京の薬師寺は西ノ京町の地に現存しており、今では世界文化遺産として奈良を代表する寺院のひとつとして広く知られています。

 

新薬師寺は”あらたかな薬師寺”

新薬師寺は、747年に光明皇后が「聖武天皇の病気平癒を祈って」創建されました。

 

新薬師寺本堂
新薬師寺本堂

新薬師寺も”薬師如来”を本尊とするお寺で、「病気平癒を願って建てられた」という点は薬師寺(本薬師寺)と同じです。

 

前述の通り、薬師寺は藤原京の本薬師寺が移転してできたお寺ですが、新薬師寺の創建はこの話とは関係がありません。

 

 

薬師寺より新薬師寺の方が創建されたのは後ですが、新薬師寺の”新”は「あたらしい」ではなく「あらたかな」という意味です。

 

新薬師寺は「新しい薬師寺」ではなく「霊験あらたかな薬師如来さまをまつる薬師寺」というふうに捉えるのが適切なのです。

 

奈良時代の創建期と比べるとかなり規模が小さくなった新薬師寺ですが、奈良市高畑町に現存しています。

 

ならの大仏がある東大寺から比較的近い場所にあるため、東大寺とともに参拝する人も少なくありません。

 

まとめ

  • 薬師寺と新薬師寺は、どちらも薬師如来を本尊とし、病気平癒を願って建てられたお寺
  • 双方の建立に関係はない
  • 新薬師寺の方が後に建てられたが、”新”は「あたらしい」ではなく「あらたかな」という意味