京都市の広沢池のほとりにある遍照寺(へんじょうじ)には平安時代中期の仏像の特徴を強く示す仏像が現存しています。
遍照寺の仏像について紹介します。
京都の遍照寺(へんじょうじ)とは?
遍照寺は平安時代中期の989年に宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が広沢池の山荘を寺院にしたのが始まりです。
当時は多宝塔や釣殿など多くの堂宇がある大寺院でしたが、寛朝僧正がなくなると衰退し始めました。
鎌倉時代に後宇多天皇により復興されるものの、室町時代末期の応仁の乱で甚大な被害を受け、それから復興されるまで長い月日が経過し、
江戸時代文政年間(1818年~1830年)になってようやく舜乗律師により復興されました。
収蔵庫と護摩堂は昭和時代に建てられ、客殿と庫裡は平成9年(1997年)に建立されたものです。
堂宇は焼失したものの、創建期に造像されたと見られる仏像が現存しており、それらは重要文化財に指定されています。
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遍照寺の見どころは?重要文化財の仏像が魅力
遍照寺では2体の仏像が重要文化財に指定されています。
遍照寺の重文の仏像(2体)
- 十一面観音菩薩立像
- 赤不動明王坐像
十一面観音菩薩立像は、989年に造像された遍照寺創建当時の仏像とされています。
像高123.6センチメートル。
ヒノキの一木造で、内刳はありません。
下肢の衣には翻波式衣文が見られます。
10世紀中期の仏像と比較すると、量感を残しながらも肉どりの抑揚はさらに少なくなっています。
衣文の彫りは角が立って線条的ですが、より浅くなっています。
面相はやさしく、夢幻のような表情です。
不動明王坐像は「広沢の赤不動さん」と地元の人に親しまれている像で、交通安全や厄除けのご利益があるとされています。
赤不動と呼ばれているのはもともと朱色に塗られていたからです。
像高70センチメートル余り。
十一面観音菩薩立像と同様に内刳のない一木造です。
造像も10世紀末と見られています。
明王像なので表情は憤怒であるものの、誇張されておらず静かな面相です。
十一面観音菩薩立像も赤不動明王坐像も
寄木造の技法を完成させた定朝(じょうちょう)の父・康尚(こうしょう)の時代の仏像で、
康尚の周辺で造像された仏像の姿を想像する手がかりとなる像です。
重文・十一面観音菩薩立像と重文・不動明王坐像を拝観するには、通常は予約が必要ですが、
遍照寺の平成29(2017)年の春の京都非公開文化財特別公開の期間は予約なしで拝観することができます。
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遍照寺は真言宗御室派の別格準本山の寺院です。
東京国立博物館(東博)の仁和寺展では、真言宗御室派総本山の仁和寺をはじめ、御室派の仏像が展示されます。
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断言はできませんが、遍照寺の十一面観音菩薩立像か赤不動明王坐像のどちらかが出陳されるかもしれませんね。