東大寺法華堂(三月堂)

東大寺法華堂(三月堂)の梵立像と帝釈天立像は、

成人男性の背丈をはるかに上回る大きな仏像が並び祀られる法華堂内陣で最も大きな像です。

動きを抑えた静的な仏像であるものの、その像高と静かな面持ちのためか独特の雰囲気を醸し出しています。

この記事では東大寺法華堂の梵天・帝釈天像の拝観情報や特徴などについて説明します。

東大寺法華堂(三月堂)の梵天・帝釈天像を拝観するには?

東大寺法華堂(三月堂)
東大寺法華堂(三月堂)

東大寺の梵天・帝釈天像は法華堂の内陣に安置されています。

 

本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)像の左右に安置されていて、

梵天が向かって右側、帝釈天が向かって左側に配置されています。

東大寺法華堂(三月堂)の仏像一覧の配置は?図で安置場所を説明

 

 

梵天像も帝釈天像も非公開の秘仏ではなく、通常公開されている仏像です。

東大寺の境内の立ち入りに拝観料は不要ですが、法華堂に入堂するには拝観料(入堂料)が必要です。

 

東大寺法華堂(三月堂)の拝観料と見学所要時間は?歴史と見どころも

東大寺法華堂の梵天・帝釈天は四天王や金剛力士とともに造像された?

法華堂の梵天立像・帝釈天像は奈良時代に造像された脱活乾漆造の仏像で、国宝指定されています。

 

法華堂には国宝・四天王立像4躯と国宝・金剛力士立像2躯も安置されています。

これら6躯の像は梵天立像・帝釈天立像と同じ脱活乾漆造です。

 

造像技法のみならず、像高や作風も似ているため、8躯が同一の工房で同時期に造像されたと見られています。

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法華堂梵天像・帝釈天像(国宝)の特徴は?

東大寺法華堂(三月堂)梵天立像・帝釈天立像

  • 員数:2躯
  • 文化財指定:国宝
  • 時代・年代:奈良時代(8世紀中頃)
  • 素材・技法:脱活乾漆造、彩色、漆箔
  • 梵天像の像高:402.0cm
  • 帝釈天像の像高:403.0cm

 

法華堂の梵天立像と帝釈天立像は動きが少ない像であるものの、像高4mを超えるため迫力があります。

梵天帝釈天像は彩色された像ですが、現在みられる彩色のほとんどは後補です。

 

 

梵天像は大衣(だいえ)と呼ばれる袈裟の下に鎧を着けているのに対し、帝釈天像は鎧を着けていません。

 

帝釈天は、戦闘神として知られる阿修羅と同等以上の戦闘力を持つ仏教の守護神です。

その武勇を示すものとして、鎧を着けている方が帝釈天の特徴にふさわしいため、

 

 

現在、梵天と呼ばれている像(以下、伝梵天像と呼びます)が本来は帝釈天で、

帝釈天と呼ばれている像(以下、伝帝釈天像と呼びます)が本来は梵天として造像されたと推測されています。

 

 

 

今日に至るまで間に両像の名前が入れ替わって伝わってしまったようです。

 

伝梵天像は左手に巻物を持っていますが、ここには衆生の観察記録が記されていると見られています。

四天王のなかの広目天は、衆生を観察した記録を筆で巻物に書く役割があります。

 

巻物を持つ広目天像というと、東大寺戒壇堂の塑造の広目天像が有名ですが、

法華堂の乾漆造の広目天像も巻物を手にしています。

左手に巻物を持つ法華堂広目天像(画像)

 

四天王は衆生の観察記録を上司にあたる帝釈天に報告するため、武神である帝釈天が巻物を持っていると見られています。

この点からも伝梵天像は本来、帝釈天像として造られたと言えそうです。

 

ちなみに現在、伝梵天像が持つ巻物は後補で、奈良時代の造像当初のものではありません。

 

伝梵天像は衣文(えもん)に特徴があります。

衣文とは衣類のしわのことで、仏像が造られた時代を推定する時の判断材料になります。

 

伝帝釈天像を正面から向かい合う状態で見て、お腹のまわりから股下を通るように衣文をなぞると、

アルファベットのY字型のような形を描くことがわかります。

衣文に沿って大きくコマネチをするとY字のようになりますよね。

 

この衣文はY字型衣文と呼ばれいて、伝梵天像が造像されるより前の時代の仏像にはほとんど見られず、

平安時代初期の仏像の一部に見られる特徴です。

 

伝帝釈天像は奈良時代中頃の仏像なので、これは平安時代初期の仏像に続く要素と言えそうです。

 

伝梵天像・伝帝釈天像はの頭部は少し角ばった四角形になっていますが、

唐招提寺の金堂に安置されている国宝・廬遮那仏坐像の頭部の形に似ています。

また、粘りのある衣のひだの表現や厚みのある肉身表現も唐招提寺の廬遮那仏坐像と共通しています。

 

唐招提寺の廬遮那仏坐像は8世紀後半に造像されたとされる仏像です。

8世紀中頃に造像されたと見られる東大寺法華堂の梵天・帝釈天像と時代が近く、

造像を担った工房がとても近い関係にあったのかもしれません。

 

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